「思うままの理(ことわり)を顆顆(つぶつぶ)と書きたらんは、道のためには大切なり」道元
1月より久々にホームページのブログを再開することにより、言霊の不思議な力なのか、体中が心なしか元気になってきました。有難いことだと感謝の気持ちが沸いてきます。道元と言えば、曹洞宗の開祖ですね。私の実家は江戸時代の半ば、寛延の頃からの過去帳があり、曾祖父の頃から祖父の頃まで長い間、お寺の総代を務めてきました。昭和5年、落雷でお寺が火事になり、曾祖父が家の山から木材を提供し、お寺の再建に陣頭指揮を取ったと聴いています。そんなことから、物心ついた頃からお寺に行き来し仏教の精神が自ずと育まれてきたように思います。
道元は、文章を書くにあたって、何も気取って立派な文章を書く必要はない。表現というのは、伝えたいことを伝えるための行為だと折に触れて語った言葉らしいのです。親鸞にしても然り。鎌倉新仏教の直截な熱い心が伝わってきます。私自身も今更ながら、改めてそうなんだと原点に戻ったような気がして嬉しくなりました。今回の療養生活で12年前の自費出版の本を今、改めて読み返し感慨にふけっているところです。写真も本も年月が経つと、そのころとは見方が変わっている場合や忘れていることもあり、やはり感慨深いものです。
「思うままの理(ことわり)を顆顆(つぶつぶ)と書きたらんは、道のために大切なり」・・・・・・この言葉を胸に、改めて日々書くことに精進していきたいものだと思っています。