「開カレツルニ 叩クトハ」・・・柳宗悦
それでも扉を叩く
いつでも、どこでも、誰にでも
扉は開かれている。開いている扉を
閉じていると感じて、
叩こうとするのが人間というものです。
叩いて、開かれているのに気づくのです。
柳宗悦(やなぎむねよし)が晩年に書いた「心うた」のひとつです。
イエスの言葉「叩けよ、さらば開かれん」は、ありがたい言葉であると柳は言います。
しかし、神こそが一切の因だとすると、むしろ開かれているのが先だと柳は考えます。
親鸞に深く帰依した柳は、仏とはみずから扉を開いて縁なき衆生を招き寄せる存在と考
えました。叩いて、開かれているのに気づくのが人間なんだと説いています。
すでに開かれていると知らずして叩く人々の、その思いを受け止めるのも見えない世界
の道程なんだと説いています。
私の前回のラジオ番組「時代のトビラ」のタイトルが彷彿としてきました。