<こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうー>
本日、「編集手帳」を読んでいますと、夏目漱石の「三四郎」の文言が目に飛び込んできました。最近とみに気になる人、夏目
漱石です。何の記事だろうかとわくわくしながら読み進んでいきました。
主人公の若者が人間関係に悩み、グズグズするのも共感を呼ぶところでしょうね。夏目漱石「三四郎」です。
内なる心を次のように説明した箇所があります。<用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうとい
うことばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声でいってやろうなどとはけっして考えない>
「会見」という言葉を含むのを思い出して、菅首相の顔を浮かべながら文庫本に先の記述を探しました。新型ウイルスの感染が
急拡大して以降、立ち話の取材は受けるものの一度も記者会見を開いて国民への呼びかけをしていません。
重症者が増え続け、都市部では病床の逼迫(ひっぱく)に懸念が強まっています。ブレーキを誰が踏むのか、どう踏むのか、混
乱を引きずったまま政府の旅行需要喚起策が動きっぱなしになっていました。日ごと不安の膨らむ局面にあって、政府の責任者
が直接呼びかける場面が少なく思えるのですが、どうでしょうか。
「三四郎」状態になっていないのであれば、国民に向かって考えていただきたいものです。<こんな顔をして、こんな事を、こ
んな声で言ってやろうー」。と当コラムは結ばれていました。
最終章を読んで思わず笑ってしまいました。しかし、事態は逼迫していて決して笑い事なんかではありません。新型ウイルスの
感染拡大に対する対応の遅さに思わずため息が出てしまいます。政府当方の推進したいことだけにアクセルを踏んでブレーキの
タイミングを見失っています。普段から重要案件の説明責任のなさには、閉口しています。日本国民の政治家としての矜持を是
非、正していただきたいと切に願います。
カウンセリング 神戸市 カウンセリング恵(めぐみ)