<両手一杯の「ことば」セラピーと心の松明(たいまつ)・羅針盤>⑳
<68歳で本格的に出会った森信三先生の世界>
私は、遅まきながら、68歳で本格的に森信三先生の書物に出会いました。森先生が京都大学大学院哲学科に通われながら天王寺師範学校専攻科の講義を認められた<修身教授録>は、読み出してから私の心を捉えて離しませんでした。前々述の<ウィリアム・オスラーの講演集>とともに、読み始めてから、両ご本は付箋で一杯になりました。共に、<私の生き方のバイブル>で、何回手に取ってみても、深い感慨を覚えます。<修身教授録>は、読破当初は、<私の教育実践の点検材料>となりました。
たとえば、<教育は人生の種まきである。> <教師はいかに生きるか>を常に探求し、子どもには背中で教育すること。
教師の二次の採用試験で<教育とは何か??>と質問され、<情熱です>と答えたことetc.etc.etc. <大筋では、及第点だったのかなあ>と少し安堵しました。
*<教育者の道>
教育者としての道はいかなるものか。まず人に教えるということは、実は教えるもの自身が、常に自ら求め学ぶということ。<教えるは、すなわち学ぶこと>
「教育の眼目は、<相手の魂に火をつけて、>その全人格を導くこと。 幼い子どもたちを教えて、その魂を目覚ますという重責につく以上、<何よりも大切なこと>は、<生涯を貫いてひたすら道を求めて、そこに人生の意義を見出す>のでなければならぬでしょう。」と、述べられています。
「諸君も今から気をつけて、<弾力のある人間>にならなければ駄目です。弾力のある人間になる最初の着手点は、なんといってもまず読書でしょう。若いうちから努めて良書を読むことです。又若いうちは、文学や詩歌など大いに読むがいいでしょう。又短歌や俳句などに趣味を持つことも大切です。」と、述べられています。
何よりも大切なことは、<生涯を貫いて、ひたすら道を求め、人生の意義を見出す>・・・・・・この点については、<真理の探究>を人生の課題としてきた私にとって、大いに背中を押されました。また、<弾力のある人間>についても、初心の頃から<視野狭窄>にならないよう自分自身を戒めてきましたので、かろうじて及第点を戴いたような気になりました。<短歌や俳句などの趣味>については、まだ初心者の頃、母の実家の上の間に母の伯父が俳句を詠んでいたのが掲げられ、素晴らしいと感銘を受け、自力で何とか趣味の世界とすることができました。森先生は、短歌や俳句を詠むことで<生活のリズム感>ができると、確か、どこかで述べられていました。
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