<両手一杯の「ことば」セラピーと心の松明(たいまつ)・羅針盤>28
<私の生き方のモデルだった日野原重明先生の世界>NO.3
<目に見えなくなった人の姿が、後々まで、生きていた以上に、僕達に大きな力を与えるということがあるのです。見えないものの中にこそ物事の本質があるのです。
サン=テグジュぺリの<「星の王子さま]の中に、<心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ>という言葉が出てきます。とても意味深い言葉です。見えなくても信じられる、そういう幸せを僕は妻に教えてもらっているのです。
亡くなった人のことを胸においてその人のことをイメージし続けていると、そこに本当の私が見えてくる。大切な人が遺してくれた言葉とともに生きるということは、本当の自分を知るためにも必要なことだと思います。
PHPの活動を共にしていた知人の弁護士さんが、あるとき<亡くなった方が、生前に何を言いたかったのか、よくよく考えてみる必要がある>と仰っていましたが、<それは、その方への最高の供養>だなあ~と思いながら拝聴していました。
<大切な人と接するとき、相手によってではなく、常に自分自身の手で、心やわらかい状態にしておくということです。穏やかな物腰、感謝の笑顔、いたわりの言葉・・・・・・、心がこわばっている状態ではできないことだらけです。やわらかい心をつくるのは自分からだと練習を始めてみてください。>
<どんな出会いにも、いつか必ず別れのときが来ます。出会いと別れというのは一つのものなのです。出会いがもたらしてくれる感動の本質が何であるのかということは、その人と一緒にいる間には、すぐにはわからないものだと僕は感じます。別れなければ、出会ったことの意味、本当の喜びを知ることはできません。
<人間とは弱いものです。別れが教えてくれる<出会いの意味>に目を向けてみてほしいのです。別れとは、出会いの中にあり、悲しく静かに僕たちが出会った本当の意味を再確認させてくれるものだからです。>
奥が深いです。105年間、ひたむきに生きてこられた先生の重さを感じます。