<両手一杯の「ことば」セラピーと心の松明(たいまつ)・羅針盤>29
<私の生き方のモデルだった日野原重明先生の世界>NO.4
* <家族とは何か??>
僕は<一緒に食卓を囲む存在>だと思います。あたりまえのように食卓につき一緒に食事ができるということ、それ自体が家族に許された特別の恵なのです。
あなたがあたたかい家庭をつくりたいと思うなら、ぜひその人と食事をともにしてみてください。一緒に食事ができること、それが与えられたことの喜びと感謝を、相手と分かち合ってほしいと思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチの<最後の晩餐(ばんさん)>という絵がありますね。ここにはイエス・キリストが弟子達と晩餐をともにしている様子が描かれています。食事をともにすることで、イエスが弟子達と家族のように一体化している、最高の姿だと思います。
私は幼少の頃、実家は大家族で、祖父たちとともに正月を迎えた日、一人ひとりの食卓の上に大きな焼き鯛が載っていた場面が今でも脳裏に鮮やかに残っています。大家族が一体化しているのですね。
家族というのは長い年月をともにするものなので、様々な時期があると思いますが、それでも家族になったのだから、一緒に食事をする。そんな風に考えていれば、きっと本当の意味での家族をつくることができるのではないでしょうか。
* <本当の友達とは??>
数多くの人と出会い、交流を重ね、そのたくさんの出会いは僕の中で宝となっているのですが、本当の友達というのは、ごく少ないといっていいでしょう。ただ、正直に言えば、友達がたくさんいればいいというものではないと思っているのです。
たった一人でも、真の友と呼べる人がいれば、僕の心は満たされるからです。
本当の友達とは、僕のために祈ってくれる人です。誰かのために祈る行為とは、相手を自分のことのように思うということです。たった一人の友を見つけるために大切なのはインスピレーションです。もし誰かと出会って、この人だと感じたら、その感覚を信じてみてください。真の友になるためには一緒に苦難を乗り越えていく必要があるからです。
夫婦も同じです。本物の苦難を乗り越えた夫婦というのは、やがて真の友になっていけるのだと思います。
* 患者さんへの愛はどのように??・・・・・・<生徒・子どもたちへの愛はどのように??>
<医学とはサイエンス(科学)の上に成り立っているアート(芸術)である>・・・・・・このウィリアム・オスラーの言葉は、医師としての僕の信条です。
音楽も絵画も技術の素晴らしさが人を感動させるのではなく、そこに秘められた優しさや悲しみ、愛が人々を魅了するのです。
医師が患者のことを心から思い、笑顔で優しい言葉をかけること、手を握ったりさすってあげて、話を聞いてあげること、・・・・・。これは、教師と生徒・子どもたちにも通じる大切な思いではないでしょうか。
宮沢賢治の<セロひきのゴーシュ>の世界もこれを教えてくれます。ゴーシュのひくセロの音色で野ネズミの腹痛が癒される。そのあたりで暮らすネズミ達はお腹が痛くなると、ゴーシュの家の床下にやってきて、セロの音を聞くのです。そしてそのゴーシュもまた、野ネズミや子ダヌキ、カッコウなど、小さく弱い動物たちからセロのひき方を学ぶのです。
医者と患者が与え合い一体となる、教育の世界では教師と生徒・子どもが与え合い一体となる、その素晴らしさを教えてくれますね。
一体感というのはいいですね。自分と相手との壁がなくなって、一緒に感じ合うことができる。仏教では、お葬式にみんな数珠を持ってきます。数珠はみんなの心を結ぶもの。愛する人との別れのときに、みんなでお焼香をして、一緒に煙に巻かれる。そういう風なもので僕達は一体感を覚えるのです。
<宮沢賢治>は、<医療と教育>という行為についても、絶大なインスピレーションを与えてくれていますね。
一つひとつに感動しますね。私も長年、教育と医療の狭間にいて、今更ながら大きなインスピレーションを戴きました。
カウンセリング 神戸市 カウンセリング恵(めぐみ)