<両手一杯の「ことば」セラピーと心の松明(たいまつ)・羅針盤>35
<義母を支えた福沢諭吉の世界>
* <活用なき学問は無学に等(ひと)し>
本を読んだり議論をしたりはしても、現実の生活にまったく役立てないのであれば意味がないという考え方ですね。「学問のすすめ」が書かれたのは、明治初期の激動の時代です。
私は、現在まで生き方の指針として、上記のこの言葉というのか、<知行合一>というのか、<現場力>の精神を最も大切にしてきました。
<学問のすすめ>は、当時の人口を考えれば、日本人の10人に1人が読んだという大ベストセラーです。ある日、夫の故郷に娘2人を連れて夫とともに帰省したとき、夫の実家の居間に福沢諭吉の「福翁自伝」の七つの言葉が張り出されていました。私は、義母のその姿に感動を憶えました。義母が亡くなってから、義理の妹たちが居間の整理をしていたところ、義母の通知簿が出てきたというのです。さすが・・・・・・地元佐賀の江戸時代の武士道の<葉隠れ>の精神が受け継がれていると思ってつくづく嬉しくなりました。私の母も義母も<知性と教養>を大切にしていたのがひょんなことから伺い知れて嬉しくなりました。
* < あまり人生を重く見ず、捨て身になって 何事も一心になすべし。>
*< 世の中で一番楽しく立派なことは、 一生涯を貫く仕事をもつことです。 世の中で一番みじめなことは、 人間として教養のないことです。 世の中で一番さびしいことは、 する仕事のないことです。 世の中で一番みにくいことは、 他人の生活をうらやむことです。 世の中で一番尊いことは、 人のために奉仕し、決して恩にきせないことです。 世の中で一番美しいことは、 すべての物に愛情を持つことです。 世の中で一番悲しいことは、 うそをつくことです。 > 「福翁自伝」
* < 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。>
「学問にすすめ」の中の一節ですね。人は生まれた時は平等です。それなのに違いが出るのはなぜでしょうか??それは学問に励んだか、励まなかったかによるものだ、と福沢諭吉は言っています。ここでいう学問とは、学校で学ぶことだけでなく、世の中での経験や情勢を見つめることなども指します。
* < 自由とわがままとのさかいは、他人のさまたげをなすとなさざるとの間にあり。>
* < 独立の気力なき者は 必ず人に依頼す、 人に依頼する者は 必ず人を恐る、 人を恐るる者は 必ず人にへつらうものなり。>
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