<両手一杯の「ことば」セラピーと心の松明(たいまつ)・羅針盤>63
<理想のリーダーとして人気の高い上杉鷹山(ようざん)の世界>
* <なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり。>
上杉鷹山は、江戸時代の米沢藩(今の山形県)の藩主ですね。財産難に陥っていた藩を、倹約や産業の育成など、さまざまな政策で立て直しました。改革には長い時間がかかりましたが、鷹山はあきらめませんでした。できないのはやろうとしないから。「なんとかしよう」と思って取り組めば、きっとできるよと教えてくれています。
神戸読書会で長年世話人をされていたY先生は、私にこの<なせば成る・・・・・・>の文言が一番好きだと伝えて下さいました。
* <受けついで 国の司(つかさ)の身となれば 忘るまじきは 民の父母(ちちはは)>
藩主となったわたしは藩の人々の父母のようなもの。それを忘れるまいという和歌に詠みました。
鷹山が藩主になった頃、米沢藩はお金がなく、領土を幕府に返上して藩をなくそうかというほどの大ピンチの状態でした。鷹山は、藩の財政を立て直す改革をはじめました。まず、節約。鷹山自身も質素な食事や着物で生活し、人々の手本となりました。そして、布や紙を生産するのに役立つ植物をたくさん植えさせて、藩の産業の基礎をつくりました。さらに、藩の学校をもうけて、優れた人材を育てます。改革には長い時間がかかり、冷害などに何度も悩まされましたが、鷹山は投げ出しませんでした。親が子を守るように、藩の人々の暮らしを守ったのです。
鷹山は息子に藩主を引き継ぐとき、「藩主は藩の人々のために働くのが仕事だ」とアドバイスしました。そして、引退後も71歳で亡くなるまで藩のためにつくしました。
私の曾祖父・祖父も明治初期から檀家の総代として、又、天神社の氏子総代として長年にわたり、村の人々のために尽くしてきました。その姿を背中でみて大きくなったわたしは、<公に尽くすことの大切さ>を自然と刷り込まれていったようです。また、恩師の言葉で教師の道を選択した私は、吉田松陰のごとく公を大切にすることを母方の祖母・母より学んでいきました。
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