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<両手一杯の「ことば」セラピーと心の松明(たいまつ)・羅針盤>⑨

2019年8月8日

<両手一杯の「ことば」セラピーと心の松明(たいまつ)・羅針盤>⑨

母の遺訓と稲盛和夫さんの世界(NO.7)<欲を超えて自然との共生・共生の社会をめざして>

本日、朝日新聞を読んでいますと、京都大学総長の山際寿一先生の「科学季評」<人間だけが「考える」のか><自然が持つ主体性とは??>の記事が目に留まりました。

西洋の哲学は「考える」行為を人間だけに認め、科学は自然を客観的に捉え、<自然を管理する権利と責任>を人間に与えました。だが、本当に人間だけの特権でしょうか。自然は<主体性>を持たない管理されるだけの存在なんでしょうか??今日の大規模な<自然破壊>を引き起こしたのは、<人間中心の考え>に誤りがあるからではないのでしょうか??

ユネスコの共催によるシンポジウム<自然は考えるのか??>がこの3日間にわたり開催されたようです。

欧米でも日本でも、自然が大規模に破壊される前の<1930年代から40年代>にかけて、<人間と自然を一体的>にとらえようとする思想が世に出ています。人間にとって文化と自然は切り離せず<風土>として一体化するとか、哲学者の故西田幾多郎先生は主体と客体、全体と部分を分離せず、<直感的に全体を把握する>のが<命の本質だ>と説きます。どんな生き物であっても、その環境に<主体的にかかわる>ことによって<環境を取り込み>、同時に<環境に取り込まれていく>んだと思います。

人間にとっての<風土>は生物にとっての<環世界>。つまり、これらは<自然は考える>とみなしていることになりますね。

大脳が発達した人間だけが<考える>主体だと捉えるべきじゃないですね。カラスもメダカも粘菌も、動かない植物さえも環境の変化に適切に反応し、自分が環境になり他の生物に影響を与えます。5月4日に娘夫婦から古希の祝いの花束として受け取った一部のドラセナの観葉植物の葉っぱが最近、台所の花瓶の中に多くの白い根っこを増やし、茎が15センチ程伸びたかと思うと、4枚の新しい葉ッぱが出てきました。私は、この素晴らしい生命力に驚きを隠せませんでした。まさに、この<動的な関係>に留意しなければ、<地球を生きた世界>として理解できませんね。

<エコシステム(生態系)>という概念は、無数の異なる生物種によって作られている世界ですが、食物連鎖を介する物質とエネルギーの循環として捉えられるという発想です。しかし、<おのおのの生物>は物質ではなく、<生きていて変化する主体>であり、常に同じように反応するわけでありませんね。

日本で<シカが急増>しているのは、個体数が増えて食物がなくなり、以前は食べなかった植物まで食べるようになり、草が根こそぎ食べられ、土壌が流出し樹木の根が浮き出して、激しい雨が降ると倒れる危険が増しています。<シカの環境への主体性が変わった>ことがきっかけで小さな変化が連鎖的に起こり、時に<地球規模の災害>を引き起こします。

それを防ぐためには、構成員である<生物の変化によって起こること>を的確に予測することが必要ですね。<命は、全て繋がりあい、影響しあっている>という考えが<この世の真理>のようですね。

近代まで日本には、<主体も客体もなく、全ての者のつながりの中に自分がある>と実感する<自然観・人生観が情緒の基礎>になっていました。<形なきものの形を見、声なき者の声をきく>・・・・・・。

日本の自然観には<あいだ>という独特な考え方があります。里山は森でも里でもなく、<野生動物も人間も「共に生きられる場所」>です。西洋科学は<あいだ>を排し、いずれかを取ります。日本には<どちらも肯定する><容中律>という考え方があり、くらしの隅々まで埋め込まれています。        最近、海外の若い人たちと話していて、この<あいだ>の感覚が抜け落ちているのに気づき、<おやッ!!>と、我に返り、根差している文化の違いに改めて脱帽しました。もう一度、<日本の美質>について、探求してみたいと思いました。

<自然は考える>というテーマは、実は<人間自体に帰ってきます>。<デジタル時代>を迎え、私たちは<個々の人間をシステムの要素>と捉え始めていないでしょうか???         もう一度<自然と人間><人間どうしの関係>を、改めて見直してみたいものです。

(次に続きます)

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