<津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくるふ瀑布>・・・長谷川櫂
「11日で東日本大震災12年目になりますね。昨日「編集手帳」を読んでいて「四季」欄の選者・長谷川櫂さんの歌
には、共感・共鳴しました。もう少し防波堤が高かったら。避難路をみんなが知っていたら。あの日、私たちは海
への見方を様々な悔いとともに変えたのではないでしょうか。
思えば、海と悔、この二つの字はよく似ています。多大な犠牲者に報いるとは、いつか必ず襲ってくるという大地
震に向かって、物心両面の準備を怠らないこと以外にないでしょう。決して悲しい思いはしません。平たくいえば、
そういうことかもしれません。
長谷川さんの歌集からもう一つ。
<「見えざる手」などあらばあれ復興の幾千万の人の「見ゆる手」>。
被災地の踏ん張りはもとより、差し出された無数の温かな手も災後をつないできました。復興は今、どんな段階で
しょう」と当コラムは結ばれていました。
長谷川櫂さんの2種の歌には、阪神淡路大震災を教育現場で体験した者として大変共感・共鳴しました。
震災後9年を経ても、登校時から廊下で泣いている生徒たち・リストカット等問題行動が後を絶たず、兵庫県の教
育現場では、災害復興担当教諭が配属され、その実践は、NHK「クローズアップ現代」で「災害弱者」として報道さ
れ、私のささやかな実践記録も紹介されました。