<涙が止まらなかった。自然を強く意識しました。…>澄川喜一さん(彫刻家)
本日、「編集手帳」を読んでいますと、元東京芸大学長を務めた澄川喜一さんの記事に
触れました。<涙が止まらなかった。自然を強く意識しました。木を素材にする彫刻に
たどり着いたとき、あの錦帯橋の崩落が私の原風景だと悟ったのです」その方の晩年に
なってからのデザインの監修が東京スカイツリーだと知りました。日本の伝統美「そり」
に着目した木彫で新風を起こしたのを始め、素材を鉄骨に変えて東京スカイツリーのデ
ザインを晩年になって監修されました。
91歳で生を全うされたのは、凄いことだと思いました。
「彫刻家の澄川喜一さんは十代を山口県岩国市の工業学校で過ごした。そこで出会った
のは江戸時代に造られた木の橋、錦帯橋だった。
瀬戸内海に注ぐ錦川にかかり、五つの弧を描く風景が美しかった。どんな職人たちが作
ったか、夢中で文献を調べた。だが秋の台風の日、大雨による増水が襲った。グワーン
という共鳴音を立てながら落ち、激流にのまれるさまを目の当たりにした。
「涙が止まらなかった。自然を強く意識しました。木を素材にする彫刻にたどり着いた
とき、あの錦帯橋の崩落が私の原風景だと悟ったのです」
以前、取材でアトリエにうかがったおり、穏やかな表情で語っていたのを思い出す。東
京芸大学長を務めた澄川さんが91歳で亡くなった。神社仏閣や日本刀に備わる日本の伝
統美「そり」に着目した木彫で新風を起こしたのを始め、素材を鉄骨に変えてもその美
は生かされた。晩年になってデザインを監修したのが、東京スカイツリーである。
そばに寄るほど、少し膨らむ不思議な眺めはよく知られている。若き日の澄川さんの涙
とともに育った芸術が、きょうも東京の空にそびえている」と当コラムは結ばれていま
した。