<物指(ものさし)や秤(はかり)で計ることは誰でもできるけれども、目分量や手加減でその量を当てることは、そう誰にも
できることではない>。 田中美知太郎
本日、鷲田清一先生の「折々のことば」を読んでいますと、上記の懐かしい田中美知太郎さんの言葉が出てきました。
テクノロジーは学習すれば誰でも利用でき、他人に教えもできます。その意味で万人に開かれています。一方、技倆(ぎりょう)
や熟練は個人が時間をかけて磨き上げるもので、後進は見て覚えるしかないです。高度な技術による製品を使いこなせても、そもそも体で計る力がなければ、世界に深く分け入れません。哲学者の論文集「善と必然との間に」から。
私は田中美知太郎さんのこの言葉に深い感慨を覚えます。私は中・高校生の頃から<この1回限りの生をどのように全うしていけばいいのか>考え続けてきました。今の結論は、<人間には教養が必要であること、そして、一生学び続けて、時間をかけて人格を磨き上げること>。それが私にとって最高の喜びであり、至福の時間であると実感しています。
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