<肘タッチ>
本日、「編集手帳」を読んでいますと、<肘タッチ>の記事が書かれていました。昨今、コロナ時代のマナーとなっていますが、
どうも馴染めません。
その児童養護施設の子供らは、園長のルロイ修道士とは<うっかり握手をすべからず>と言い交わしていました。万力より握力が
強く、勢いよく腕を上下させます。しばらく鉛筆が握れなくなるよと
これは井上ひさしさんの小説「握手」の話です。読み進めると、戦中戦後、自ら畑を耕し、施設の子を愛し抜いた人ゆえとわかりますが、むろん握手は舶来のものですね。西洋でも意外に歴史は浅く、近代以降に定着したものらしいのです。
日本では文明開化期の1879年、米国のグラント前大統領の来日に際し、明治天皇が<握手の礼>で迎えたとされます。庶民もぎこちなさを覚えながら、マナーとして習得に努めてきました。
ところが最近、にわかに<肘タッチ>が採用されつつあります。じかに手を握ることなどご法度の、コロナ時代の礼法です。対面
外交が再開し、モリソン豪首相と菅首相が笑顔で肘を合わせる写真をご覧になった方もいらっしゃることでしょう。
どうも正直、なじめる気がしませんね。ちなみに英語の<エルボー>でネットを検索すると、プロレス技の画像が次々と出てきます。井上さんの名編のごとく、いつかは思いの丈を託せる挨拶になるのでしょうか」。と当コラムは結ばれていました。
握手と言いますと、私の恩師の学長と10年前、自費出版した折、本屋さんで最期の握手を交わしました。感動でした。父親のような学長でしたので、「お金が掛かっただろうと1万円を包んだ寸志を戴きました。まさに井上ひさしさんの小説「握手」のイメージ
でした。話は替わって最近の出来事です。11月の第1週、西神中央駅を歩いていますと、不意に水岡俊一先生と蓮舫さんに出会いました。蓮舫さんは講演会に参加された一人ひとりに、それこそ<肘タッチ>をされていましたが、最後尾の私は「蓮舫さん、頑張って!」と声をかけ、ちっちゃな肩を大きくたたきました。
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