<銀河鉄道の夜>
本日、「編集手帳」を読んでいますと、<銀河鉄道の夜>の文言が目に飛び込んできました。宮沢賢治には、とても
思い入れが深く母親の薫陶には大きく影響されました。
「<銀河鉄道の夜>に難しい植物の名をしるす一節があります。<青い橄欖(かんらん)の森が・・・だんだんうし
ろの方へ行ってしまい>
橄欖は中国の植物ですが、姿形が似ていることから、オリーブを橄欖と誤訳した時代が長かったです。このため宮沢
賢治が銀河を走る汽車からの風景に織り込んだのは、「青いオリーブの森」と解してよいらしいのです。
きのうの夕刊記事にちょっと先走って、東北の海岸沿いに青々と広がるオリーブ畑を想像しました。宮城県石巻市の
復興事業でオリーブの栽培が成功間近だといいます。その名も「北限のオリーブ」
国内栽培発祥の地・小豆島で農園を営む荒井信雅さんが地元農業法人と協力し、1600本余りを育てています。震
災から10年の節目となる今年、初出荷が視野に入るというから朗報でしょうね。津波で住めなくなった土地を市が買
い上げたものの、土壌の塩分が米作りや果樹栽培を阻みました。そこでオリーブに目をつけたところ、寒冷地にもか
かわらずたくましく育っていきました。
石巻は賢治が初めて海を見て、詩を書いた土地でもあります。<銀河ー>にちなんで林とはいわず、森をめざしてほ
しい」。と当コラムは結ばれていました。
宮沢賢治と言いますと、私の母が「雨にも負けず、風にも負けず」の詩を小学校5年の時、暗唱するように言いまし
た。旧家に嫁いで苦労した母は、自分自身にも言い聞かせていたのだと咄嗟に感じ、暗唱しました。その詩は、私の
脳裏にずっと生き続けていました。その後も宮沢賢治のファンとなり宮沢の作品を追い続けてきました。
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