<食通の奥義>
本日、「編集手帳」を読んでいますと、作家の太宰治の<食通>が目に留まりました。太宰治は私にとって興味津々の作家です。
さて、何が始まるのだろうかと持ち前の好奇心が動き始めました。
日米開戦直後の1942年1月、作家の太宰治がとぼけた随筆を残しています。題は<食通>。普通は口の肥えた人のことですが
、<食通といふのは、大食ひの事をいふのだと聞いてゐる>と始まります。
この定義を仲間の檀一雄に教え、際限なくおでんを食べてみせました。<檀君は眼(め)を丸くして、君は余程(よほど)の食通
だねえ、と言って感服したものでした>。別の友達もうれしそうに<ことによると、僕も食通かも知れぬ>
お上品なマナーで、舌先に博識を載せる手合い倦(う)んでいたらしいのです。安くておいしいものを、たくさん食べます。これぞ<食通の奥義>とも述べるのですが、折しも食糧統制が強まっていた頃です。庶民は窮乏し、太宰流の<食通>など成り立たなくなります。
この暮れはコロナのせいで、やはり<食通>にはなりにくいですね。例年なら飲み過ぎ、食べ過ぎ用のドリンク剤のCMがさかんに流れる時期ですが、忘年会を見送った職場も少なくないでしょうね。
浮かれた師走のウの字がこぼれ、「枯れた」師走ではあります。忘年会がなければ2次会のカラオケもありません。耐える冬の先
は、ウが戻り、「歌える」春が到来しますように」。と当コラムは結ばれていました。
残念ながら今「枯れた」師走になりますね。私は教員の頃を振り返ると「親睦会」の係をよくさせられていました。結構、はしゃぎまわるのが好きだったからでしょうか・・・。飲み会・カラオケでは、新たな人間関係に出会える楽しみもありますからね。
太宰治と檀一雄はお仲間だったのですね。この話を読んでいて、檀ふみさんを連想しました。全く場違いな話ですが、修学旅行中のとあるエピソードを思い出しました。生徒たちと柳川下りを楽しんでいたところ、その船頭さんが突然、私に向かって「先生!檀ふみさんにそっくりですね」と声掛けされました。びっくりするとともに嬉しい悲鳴を上げました。「枯れた師走」の先は、どうか楽しい春が到来しますように。
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