<わきまえない女たち>そして<Dont Be Silent>
本日、「天声人語」を読んでいますと、<失言のデパートのような森、喜朗さんの・・・>とあり、私の持ち前の好奇心が
始動してきました。
「振り返ると失言のデパートのような森喜朗さんの政治人生です。その言葉は無軌道のようでいて、背景にある価値観も見
えてくる気がします。論争や説得の軽視です。どちらも本来、政治に不可欠のはずなのに。
首相時代には、総選挙を前に無党派層についてこう述べました。「(選挙に)関心がないといって、寝てしまってくれれば
いいんですけれど」。政策を訴え、こっちを向いてもらう努力などする気がないように聞こえました。
今回の「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」にもつながります。一番の問題は「女性だから」「男性
だから」という色眼鏡で最初から見ている点です。同時に、会議で議論するのがマイナスであるかのような価値観があらわ
になりました。
政界をはじめ日本の組織では、森さんのような調整型のリーダーが大事にされてきました。表舞台で活発な議論を促すので
はなく、有力者たちの要求をぐっと飲み込んで、痛み分けの裁定をします。根回しを駆使しながら
五輪にしても昨年の段階で、中止と延期の利害損失を明らかにして国民の議論を促すべきでした。今も「プランB]すら示さ
れず、空虚な精神論ばかりが聞こえてきます。調整は裏でやるから黙ってろ、ということでしょうか。
森さんの発言を皮肉った「#わきまえない女たち」、そして「#Dont Be Silennt(黙っていないで)」といった言葉がネ
ット上で広がります。「男たちによる調整型」を続ける多くの組織に対する異議申し立てでもあるのでしょうね」。と当コラ
ムは結ばれていました。
日本の昔からの風土みたいなものを感じました。幸いに私が働いていた教育現場は、給料に男女差はなく、会議で議論するの
が当たり前になっていました。教育現場にも十分、「教育力」が働いていました。このコラムの最終章では、「男たちによる
調整型」を続ける多くの組織に対する異議申し立てでもあるのでしょう」。と、結ばれていましたが、政治家が率先して、い
いお手本を見せてもらいたいものですね。