アサイド

「74歳のからだ革命」

12月8日の投稿通り、12月9日の手術から1か月が経過しました。この度、2010年の圧迫骨折の後方固定術から、脊椎内の金属をすべて除去する手術を受け、本格的に理学療法士の先生によるリハビリをスタートしました。
後方固定術で12年間使ってなかった筋肉もあり、今回、通常の体に戻してゆく「74歳のからだ革命」の始まりです。元の体に戻るのに1年ぐらいはかかるだろうと言われています。理学療法士の先生との伴走で<失われていた筋肉のバランス>を取り戻したいものだと考えています。

<両手一杯の「ことば」セラピーと心の松明(たいまつ)・羅針盤>⑮

<両手一杯の「ことば」セラピーと心の松明(たいまつ)・羅針盤>⑮

亡き母の主治医の勧めた<ウィリアム・オスラーの世界>(NO.1)

<亡き母の元主治医>から当時、<日野原重明先生訳>の医学書院発刊の<ウィリアム・オスラー博士>の<平静の心>を勧められ、最初は医者対象のご本なので少し難しいと思いましたが、格調高くて大層、気に入りどんどん読み進んでいきました。<私の教師としての使命>を自覚する直前の<30代後半の時期>だったので、今思えば<随分と強烈な示唆・インスピレーションを受けていたなあ>と思われます。

医者も教師も<平静の心>というのは、最も大切な<資質>と思えます。<平静の心>は、歴史上最も優れ、賢帝として最も誉れの高いローマのアントニヌス・ピウスの<座右の銘>らしいのです。<平静の心>は、<天性の気質>に負うところが大きいのですが、それと同時に、<自分と周囲の人間>あるいは<生涯をかけた職業と自分はどう関わり合っているのか>この点についてのはっきりとした認識を持つことが必要不可欠なんでしょうね。<あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂を勝ち取るであろう>と、聖書に書かれています。

<汝、海に屹立(きつりつ)する崖になれかし、 波は絶えず打ち砕けようとも、 崖は静かに聳(そび)え立ち、まわりの逆巻く波も穏やかに静まりぬ。> マルクス・アウレリウス

この<マルクス・アウレリウス>の詩は、<人としての最高の理想>を謳っているんでしょうね。

オスラーは、<教育とは、微妙な、かつ緩慢な変化にほかならない>と延べ、又、教育は、<すぐに芽は出ない、忍耐を要するものだ>とも言っています。<教師は優しさ、忍耐、正しさの模範を自ら示し、教師の感化力あるところに命あり、・・・・・・>とも述べています。

<教師の感化力>は、何者にも増して最も尊いもののように思えてきます。

 

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<人は怖くて嘘をつく?!>

<人は怖くて嘘をつく?!>

昨日、病院の定期の診察がありました。病院の売店で以前から目に跳び込んでいた曽野綾子さんの<人は怖くて嘘をつく>の本を早速、購入しました。

私は、一度嘘をつくと、後が大変だと思っています。一度、架空の筋を作ったら、それに向けあらゆる変更を重ねなければなりません。<限りのある人生>で、そんな面倒なことはエネルギーの無駄のように思えてきます。<素直にあるがままを生きる>が、私の<人生のモットー>なので・・・。

しかし、人はあらゆる嘘をつく要素も持っているようにも思えます。もちろん<恐怖>からでも嘘はつくのですが、<相手の歓心を買いたい>、さしあたり<相手との不愉快な関係から逃れたい>、<得をしたい>、などあらゆる理由が挙げられます。

それは、人間に内蔵される矛盾した性格の存在を示しているようです。私も含め人間のつくちょっとした<嘘>を<あまり、よろしくないなあ>と思うことはあっても、何故か、<道徳的ではないなあ>と真っ向から非難する気にはなれないのです。

<嘘も方便>という諺もあります。時には嘘も手段として必要ということですね。<嘘から出た誠>という諺もあります。嘘のつもりで言ったことが、たまたま本当になってしまう。

昨日、私の尊敬する祖父の年代の教育学者で哲学者の森信三先生の<修身教授録>を再度読んでいますと、<嘘をつく人は、生命力が弱いのです>という文言にたまたまでくわしました。私は<なるほどなあ>と妙に納得していました。

つい先日、丹羽宇一郎さんの<死ぬほど読書>を再読していますと、ここにも<嘘や隠し事>の文言が出てきました。<嘘や隠し事がきっかけとなって、問題に発展するケースはいくらでもあると思います。私は優秀な人間ほど、隠し事をすると思っています。自分も周りも優秀と思っているから、何かあっても、自分の価値や評価を落とさないために必死で隠す。一度嘘をついたり、へんに隠したりすると、それがバレないように、また幾重にも嘘を重ねていくことになります。嘘をついている当人は心にモヤがかかったようになるし、そこで何か問題が生じれば、精神的に追い詰められます。

そんなふうにならないためにも、どんなに小さくても、絶対に嘘はつかない。そのことが同時にトラブルを防ぐことにもなるわけです。

このように失敗やトラブルを防ぐには、結局のところ、それを引き起こす原因になりがちな行動や思考のパターンをしっかり認識して避けることが一番なのです。>

<たかが嘘、されど嘘>ですね。このような行動や思考パターンを改めるのが賢明な生き方のようですね。

 

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<歌鎖(うたぐさり)・・・>

<歌鎖(うたぐさり)・・・>

本日、コラム「春秋」を読んでいますと、上記の<歌鎖(うたぐさり)>の文言が目に跳び込んできました。
「和歌の伝統的な遊びの一つに<歌鎖>と呼ばれるものがあるようです。
ひとりが歌を詠むと、末尾の文字または下の句の最初の文字を、次の人が上の句の頭に置いて
読み続けます。
簡単に云えば和歌のしりとりでしょうが、鎖と聞くと、どこかで途切れそうにはない印象を受けますね。古今東西、切れない物を鎖に例えるのは同じようですね。

<Chain of hatred(憎しみの鎖)>

陰湿なテロ事件がおこりますと、英字紙で必ずこの言葉を見かけますね。
死者が350人を超える惨事となったスリランカの同時爆破テロは、3月にニュージーランド
のイスラム教礼拝所で50人が殺害された事件の報復との見方が出ています。

過去の戦争や宗教を背景とする地球規模の憎悪の対立は数千年にさかのぼるといわれています。どんなしぶとい金属なのか、人類が断ち切れないでいる鎖だろう」と、あります。

日本は、この先の5月から元号が変わり「令和」となります。
この元号の創案者らしき中西進先生が戦争体験者で平和への希求が強く、日本の古代の律令の<和をもって尊しとせよ>が元号の原点で、地球規模の多様性のハーモニーで麗しい文化を創設せよとの思いを載せた「令和」がもうすぐスタートします。

日本人が世界のリーダーシップを取れるよう研鑽し、是非とも実践化できることを願わずにおれません。

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<今、母は子に何を語るべきか?>part2

<今、母は子に何を語るべきか?>Part2

先日のコラムに執筆した涛川栄太さんのご本を紐解いてみますと、
1.母は子に、「愛すること」を語れ
2.母は子に、「生きること」を語れ
3.母は子に、「祈ること」を語れ  と、あります。

2.「生きること」を語れ
  (1)子どもに「生きる」力を与えるのは母親の役割
  (2) 母親だけが、子どもの<異能>を育てられる
     ・何かひとつ得意なものを持っていると、他のことを始めてもうまくいく

      これは、私の母の子育ての信条でもありました。
      私は小学校時代、夏休み・冬休み後の習字・絵画の作品展で大方金賞を
      いただいていました。
      習字は、曾祖父・祖父がお寺の総代を長年勤め、その関係で老師より習
      字を習っていました。
      結果的には、このことが「自己効力感」や「自尊感情」のもととなった
      ような気がします。
      

     ・となりの子どもが薔薇なら、わが子は桜になればいい

      人間は、多種多能の能力を持っていて誰でも「唯一無二の存在」なので
      他と比較するのは、愚の骨頂というものですね。
      
     ・何事もプラス思考でいくように育てる

      ここに、経営の神様と言われた松下幸之助氏の陽転思考が登場します。
      松下氏は、なぜ日本一の実業家と言われるようになったのですかと訊か
      れると、その理由を三つあげられています。
      *貧乏だったからハングリーになれた
      *学歴がなかったから人の何倍も勉強し、人の話を真剣に聞いたこと
      *体が弱かったから多くの人によくしてもらい、人に感謝の念がわいた
       こと

      私は、教員採用当初から松下幸之助氏に随分と傾倒していました。
      松下氏は私の祖父とほぼ同年代ですが、松下氏の<現場主義・実践哲学
      >に、とても心魅かれていました。
      私は教員採用当初から、教員は限定された仕事なので、了見が狭くなる
      ことを極力恐れておりました。出来るだけ大局観を身につけたいものだ
      と思っておりました。
      ところで、一年程前、松下氏の本を読んでいて、<この世に害虫も囚人
      も悪人も必要だ>と書かれているのを読んで思いの深さに感銘しました
      。
      過日、以前にノーベル物理学賞を受賞された中村修二氏の「考える力
      、やり抜く力 私の方法」を読んでいまして、中村氏は大学修士課程
      修了後、松下電器産業の推薦を受けながら、実は松下氏に落とされて
      しまったらしいのです。
      落とされた理由は、「理論屋はいらない。物作りの人を求めている」と
      いうことだったらしいのです。
      私は、この文言を読んで「なるほどなあ!松下氏らしいなあ」と思いま
      した。

   
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